マイクロロンの歴史-パート1/愛車のエンジン内部を摩擦、摩耗から守るメタルトリートメント、マイクロロン

2014年、マイクロロンは発売50周年を迎える。エンジンのベストコンディションを維持してくれるメタルトリートメント=金属表面処理剤としてお馴染みのマイクロロンだが、実は当初はライフルの銃身焼き付き防止剤として開発されたものだった。今回は誕生秘話から90年代までの輝かしい実績についてお話ししよう。

アメリカの発明家、ビル・ウィリアムスが開発した銃身焼き付き防止剤、開発ナンバーWZ-127は3万発以上もの弾丸を発射しても焼き付きを起こさず、銃身内部を摩擦と摩耗から守ってくれた。このWZ-127は銃愛好家の間で大評判となったが、ここで終わらないのがビルの非凡たる所以。ある夜、さらなる閃きが彼の脳裏をよぎった。
「エンジン内部のピストンとシリンダー壁の関係は、音速以上で進む弾丸と銃身の関係に置き換えられる。」
ビルはベッドから飛び出し、ガレージへと走った。
かくしてWZ-127はマイクロロンとしての第一歩を歩き始めたのだ。
トーマス・エジソンが言ったように「1%の閃き」を得ることができる者が「天才」なのだとするならば、ビルはまさしく「天才」である。そして、「99%の汗」ももちろんあった。開発ナンバーWZ-127が意味するのは、127の基本開発コード。枝番号は無数にあったという。ビルがWZ-127に辿り着くまでには、何百回もの失敗があったのだ。
WZ-127はマイクロロンとなり、エンジンには欠かせないモノとなった。誕生から半世紀、マイクロロンは数々のギネス記録や伝説を打ち立ててきたが、次なる半世紀にもマイクロロンは伝説を作り続けることだろう。

マイクロロンは、スイス・ジュネーブ発明技術展で金賞に輝く。

マイクロロン処理されたプロペラ機「Voyager」が無給油無着陸世界一周記録を樹立。

1964
射撃の名手でもあったビル・ウイリアムスが発明したライフルの銃身焼き付き防止剤が「WZ-127」(その後付けられた商品名がGUN JUICE)。今でもGUNマニアに愛好されている。この「WZ-127」は自動車のエンジンにも役立つ、というビルのひらめきがマイクロロン・ヒストリーの始まりである。

1978
フランス政府の各機関及び産業界の代表立ち会いのもと、マイクロロン処理したルノー・R-5のノンオイル走行テストが実施された。テスト車はマルセイユからパリまでの815kmをノントラブルで走破。マイクロロンの実力を証明した。

1979
マイクロロンは「スイス・ジュネーブ発明技術展」において、その高い効果と技術力を認められ金賞を受賞した。

1986
Dick RutanとJeana Yeager が操縦するマイクロロン処理を施されたプロペラ機「Voyager」は、1986年11月14日にアメリカ、エドワード空軍基地を飛び立ち、インド洋、大西洋を飛び越え、9日後の11月23日に帰還。プロペラ機による無給油無着陸の世界一周記録を樹立した。

1995
我が国では業界の重鎮・モーターサイクルドクターこと須田高正氏が、1995年にマイクロロン処理したKawasaki ZZR1100でボンネビルで最高速チャレンジを敢行。308.48km/hという2輪の最高速度記録を達成。当初はマイクロロンに懐疑的だった須田氏。しかし、テストを重ね実績を積み重ねることでその効果を確信、今では2輪界きってのマイクロロン伝道者となっている。

1996

レーシングカーデザイナー由良拓也氏は、ACコブラ中毒で有名。気難しいコブラのエンジンをご機嫌にさせるための妙薬として、マイクロロンを使用、その効果を実感。以後レースにおいてもマシンのマイクロロン処理を欠かさない。1996年、全日本ツーリングカー選手権でチャンピオンを獲得するなど、輝かしい戦績を残している。

text: ORM編集部
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