インタビュー:ハワイと青山が教えてくれたアメリカ製品の魅力。国沢 拓 (クニサワ・ヒロシ/ヘアメイク サクラ代表)

WE LOVE WHEELS!
HIROSHI KUNISAWA from HAIR&MAKE-UP sakura

「60~70年代あたりのアメリカのクルマやライフスタイル全体がカッコいいですよね。」と語る国沢拓さんの原点は、ハワイと青山にあった!

東京・中目黒駅にほど近い目黒川沿いで、ヘアメイクsakuraを経営する国沢拓さんは、子供の頃から濃いアメリカに触れて育った。
「伯母さん二人が突然ハワイに移住したのです。僕が生まれ育った高知の田舎町の大事件。ロングヘアにミニスカートのハーフの従姉妹が遊びにきた時もカルチャーショックでした。」
叔母から届くアメリカの古着を身につけていた小6の頃が、最高のモテ期だったとか…。
月日は流れ、美容師として上京、一時は時代の流れもありヨーロッパ志向だったが、アメリカ文化への憧れは常に持ち続けていたという。
23歳の時に青山で所ジョージさんと出会う。
「勤めていた店の上に事務所があって、ふらっとお店に来てくれたんです。以来、クルマやバイクはもちろん、所さんのライフスタイルにいろいろ影響を受けました。」
27歳で念願のハーレーデビュー、最初の一台はエボリューションエンジン搭載のソフテイル。
クルマは69年型カマロのオープン。ボンネットからエアクリーナーが飛び出していたとか・・・。
「でも雨で渋滞の首都高で電動トップが故障、恥ずかしかったな~。」
その後入手したパンヘッド・エンジン搭載の48年型ハーレーダビッドソンもよく故障したが、ハーレーについて多くを学んだ。
「ある時パンヘッドがダメになって、ずいぶん落ち込んでいたんです。その様子を見かねた所さんが『俺のWLA、譲ろうか?』と言ってくれたのです。」
大戦中に活躍したミリタリーモデルのハーレーが、アメリカで箱入りデッドストックの新車状態で発見され、それを所さんが輸入、カスタムして乗っている姿を、筆者も雑誌で見たことがある。
その有名なWLAを譲ってくれるというのだ。
以来13年、そのハーレーは国沢さんの愛車であり続けている。
遠方へ旅に出ることもあるが、旧車ゆえ、トラブルにまつわるエピソードには事欠かないとか。
クルマは現在、ダッジラム・バンを愛用。
大きなラゲッジスペースには常にサーフボードやキャンプ道具等、アウトドア用品を積みっ放しだという。
「何があっても生活できるクルマです(笑)。」
緑豊かな川沿いの店の前で、愛車たちについて楽しそうに語る国沢さん。
いい意味でゆる~い、心地いい空気感が国沢さんとsakuraの魅力なのだ。

「旧いアメリカの乗り物は、乗っていて気分が違う、楽しい。壊れてもネタにできるし(笑)。同乗の友達や家族は、たまったものじゃないですけどね。」と語る国沢さんの愛車をご紹介。
通勤にも活躍している黒いハーレー、ショベルヘッドエンジンのFLは友人の形見。

大掛かりにカスタムされたヤマハのグランドアクシス。同じ車両を大掛かりにカスタムしていた所さんから譲り受けたパーツもいろいろ装着されている。

sakuraのステンシルと所さん直筆のレタリングが入るハーレーダビッドソンは、大戦中に生産されたミリタリーモデルのWLAがベース。燃料キャップにはヴィンテージの靴墨のキャップがかぶせられていた。

sakuraの看板犬"CHAR"とWLAとともに、店の前、川沿いの八重桜の木をバックに。

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中目黒駅にほど近い、緑豊かな目黒川沿いにあるヘアメイクsakura。上のWLAは店内にディスプレイも兼ねる。
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photo&text: Gao Nishikawa
special thanks: HAIR&MAKE-UP sakura (http://hm-sakura.com

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