幻の航空機"富嶽"と、ラジコン飛行機を愛する男たち。

太平洋戦争当時、中島飛行機製作所が設計するも製造にまで至らなかった大型軍用機『富嶽』(ふがく)
それをラジコン(RC)飛行機で再現し飛ばしている人たちがいる。
富嶽の飛行をメインに、RC飛行機ファンが集う『RC中島飛行機スケール大会』を取材した。

 ここは群馬県太田市のRC専用飛行場『尾島スカイポート』。精密な大型RC飛行機が、エンジンの唸りとともに空高く舞い上がる。多くの機体はガソリンエンジンを搭載、その音や匂い、そして迫力は、初めて間近に見る筆者にとっても充分に魅力的だ。
 今回の主役である富嶽は、中島飛行機の創業者、中島知久平(なかじま・ちくへい)が太平洋戦争中の1942年に立案・設計した、アメリカ本土空襲のための大型爆撃機。しかし戦局の悪化にともない計画は中止、製造されることなく幻の航空機となってしまった。
 それから約55年後の2000年、富嶽はRC飛行機になって大空を飛んだ。製作したのは太田市近郊の有志を中心に結成された『富嶽を飛ばそう会』。その活動は、現在会長をつとめる正田雅造さんが、父上所蔵の富嶽の設計図を見つけたことから始まった。
「図面には爆撃機以外に、戦後の平和利用を考えたと思われるプランも描かれていました。そこで我々は、その夢さえも実現しようと、輸送機や旅客機タイプもRC飛行機として再現、飛ばしているのです。」そう語る正田さんをはじめ、地元で自動車や工業製品の設計・製造・デザインに関わってきたメンバーが多く、モノづくりのノウハウも豊富だ。
 彼らの手により再現された実機は精密にしてダイナミック。1/12スケールでも、全長3m、主翼幅は5mあまり。長い翼には6基のエンジン(輸送機タイプは二重反転プロペラ付きの電動モーター)を装備。その姿はまさに威風堂々。

写真上:旅客機タイプの富嶽と、『富嶽を飛ばそう会』の面々。現役・OBと立場はさまざまだが、エンジニアやデザイナー、航空機パイロットなどが、それぞれのスキルを生かして活動している。

 取材した『RC中島飛行機スケール大会』も『富嶽を飛ばそう会』の主催。主旨に賛同して集まったRC飛行機ファンによる大会の模様は、写真とキャプションでじっくりご覧頂きたい。

写真上:『RC中島飛行機スケール大会』全参加機と参加者。どれも本格的な大型RC飛行機だが、富嶽の大きさは群を抜いている。ほとんどはエンジン機、電動モーター搭載機は富嶽の輸送機タイプ(手前右)を含む数機だった。

(左上)組み立て中の富嶽・輸送機タイプ。奥はNHKテレビの取材班。会の活動はこれまでも多くのメディアで紹介されている。
(右上)富嶽・輸送機タイプ▶︎二重反転プロペラを駆動する電動モーターを6基搭載。このモーターは『富嶽を飛ばそう会』の主旨に賛同するRC模型メーカーの協力により特別に製作・提供されたものだという。巨大な機体が、中島飛行機発祥の地、太田の大空を優雅に舞う。
(左下)富嶽・旅客機タイプ▶︎この日一番の大迫力サウンド、6基のエンジンを唸らせながらの富嶽のナイス・ランディング。2台のプロポを2名でコントロール。息のあった操縦が求められる。
(右下)カリーニ▶︎1930年代設計のロシアの大型機。模型のサイズは富嶽には負けるが、充分な大きさと6発のエンジンサウンドが豪快。

(左上)P51マスタング▶︎第二次世界大戦中に大活躍したアメリカの傑作戦闘機。筆者もお気に入りのシャープなスタイルは、RC飛行機になっても健在だ!
(右上)コルセア▶︎乗員の視界の確保や主脚の短縮を目的に「逆ガル」と呼ばれるユニークな形状の翼をもつ米軍の戦闘機。精密な作りにも目を奪われた。
(左下)月光▶︎富嶽を設計した中島飛行機製作所が大戦中に製作した双発・複座の日本海軍の夜間戦闘機『月光』も豪快な飛行を披露。
(右下)疾風▶︎同じく中島飛行機製作所製の傑作機、「中島四式戦闘機」疾風(ハヤテ)。稲妻をあしらったカラーリングがカッコいい!

(左上)疾風▶︎上のシルバーの機体と同じハヤテだが、カラーが違うと雰囲気はまったく異なる。戦闘態勢を思わせるアングルと相まって迫力満点だ。
(右上)タイガーモス▶︎複葉機ってこんなにカッコいいんだ!と再認識させてくれたのが、イギリス製の名作練習機、タイガーモス。
(左下)ユングマイスター▶︎こちらは1930年代にドイツで生まれた単発の複葉機。鮮やかなカラーリングの機体と優雅な飛行に魅せられた。
(右下)メッサーシュミット▶︎RC飛行機ではないが、会場駐車場でのスナップも一枚ご披露。ドイツの航空機メーカー、メッサーシュミットの名車KRだ!キャノピー(風防)の中には操縦桿を彷彿とさせるバーハンドル。単座が前後に備わる2名乗車である。ドイツ版スバル360とも言えるかも。

下は『富嶽を飛ばそう会』会長の正田雅造さん。太田市内で自動車部品メーカーを経営、さまざまな製品を企画・デザイン・商品化している。中島飛行機と縁があった父上の所蔵品から富嶽の設計図が見つかったことから、すべてが始まったのだ。

photo&text:: Gao Nishikawa
special thanks::
富嶽を飛ばそう会(http://gritz.web.fc2.com/fugaku

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