キャロル・シェルビーが手掛けたマシン達

今年のアカデミー賞で作品賞含め4部門にノミネート、編集賞と音響編集賞を受賞したハリウッド映画「フォードvsフェラーリ」。ダブル主演のマット・デイモンが演じているのが、かのキャロル・シェルビーだ。
そのキャロル・シェルビーが製作やレースマネジメントに関わったマシンたちを、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に活躍するジャーナリスト、ケニー中嶋が紹介する。

キャロル・シェルビーは、1923年1月11日にテキサス州シースバーグ市で生まれた。第二次世界大戦時にはアメリカ陸軍でテストパイロットと教官として勤務。戦後は養鶏所経営に専念していたが、50年代にレーシングドライバーとしてデビューを果たした。フェラーリやマセラッティーを駆って3度の全米スポーツカーチャンピオンとなり、59年にはアストンマーティンでル・マン24時間レースに優勝するなど数々の輝かしい栄光を手中に収めた。
幼少の頃から抱えていた心臓病のため‘60年にレーサーを引退すると、スポーツカーマニュファクチャラーへと転身、ライトウェイトスポーツカーに高出力エンジンを搭載するパッケージングをインスパイア。英国AC社製2シーターオープンの「エース」にフォードのV8エンジンを搭載した名車「ACコブラ」を、62年のニューヨークオートショーでデビューさせた。

写真/上段:1962年にシェルビーアメリカが最初に組み上げたコブラのプロトタイプ(車体番号CSX2000)。
写真/下段:シェルビーコブラの量産モデル1号車(車体番号CSX2001)は、1962年のニューヨークオートショーで発表されると一躍脚光を浴びた。その後このマシンはフランスに送られ1964のルマン24hrレースをはじめヨーロッパのレースやヒルクライムに参戦することとなる。

同年、ロサンゼルスにシェルビー・アメリカンを興し、「シェルビー・コブラ」の市販化を開始すると共に、翌年にはボブ・ボンデュラント、ダン・ガーニー、ケン・マイルズといった一流ドライバーと共にレースチームを結成。ロードスタータイプのコブラと空力に優れたクローズドボディの「デイトナクーペ」といったレーシングマシンを擁して北米レースで数々の勝利を積みあげ、戦いの舞台をヨーロッパのレース界へと広げっていった。65年にはフェラーリ、ポルシェやジャガーを抑え、GT世界選手権を制覇。同じ年にはフォード・マスタングをベースにしたハイパフォーマンスマシン「GT350」を発売した。この「GT350」は瞬く間に国内レースで大活躍することとなる。同じ頃、フォードはルマン必勝マシンとして開発した「GT40」が思うような性能を出せずにいた。そこで白羽の矢がたてられたのがシェルビーだ。翌66年のル・マンでケン・マイルズと共にフォードの勝利に貢献、ライバル、フェラーリを打ち負かしたことは映画で詳しく取り上げられているとおり。さらに翌67年には連覇を達成するなど、シェルビーは60年代のフォードのレーシングシーンの立役者として大活躍した。

写真/上段:シェルビーコブラのシャシーとドライブトレインを用いてヨーロッパのGTクラスレースでフェラーリ250GTOに対抗するために造られた空力に優れたクローズドボディを纏った「デイトナクーペ」。レース用のデイトナクーペの生産台数は僅か6台。(写真はキットカー)
写真/下段:ポニーカーとして大成功を収めたフォードマスタングをレースで勝たせるマシンとしてシェルビーが手がけたのがGT350。SCCAプロダクションスポーツカーレースの必勝マシンとして1965年型マスタングをベースにパワーアップと軽量化、ボディの剛性アップとハンドリングを向上させている。

しかし、ル・マンでの勝利の後、フォードがレースの表舞台から引き始めたのに伴い、シェルビーもレースチームの活動に幕を引き、その後は市販モデルの販売に軸足を移していった。シェルビーが懇意にしていたリー・アイアコッカがフォードを離れクライスラーに移ったこともあり、ダッジベースのパフォーマンスモデル「ダッジ・シェルビー・チャージャー」等も手がけるようになる。
70年代後半にはビジネスの一線から退いたが、その後もアフリカ冒険旅行に出向いたり、心臓移植のファウンデーションを立ち上げたり。2012年5月に故郷のテキサスでその生涯を閉じるまで、意欲的に89年の人生を駆け抜けた。
ビッグブロックV8を搭載した「427コブラ」や、新旧フォード・マスタングをベースにした「シェルビーGT500/GT350」といったアメ車史上に残る名車達を世に送り出したキャロル・シェルビー。アメリカン・スポーツカーシーンを語るにあたり、欠かすことのできないビッグネームなのだ。

写真/上段:フォードがルマン必勝マシンとして開発に悪戦苦闘していたGT40をキャロルシェルビーが改良に加わったことで1966年のルマンで劇的な1−2−3フィニッシュを飾ったGT40MkII(写真左は同年のデイトナ優勝、ルマン2位のマシン)。
写真/下段:翌67年のルマンでダン・ガーニーとAJフォイトのドライブで「オールアメリカンヴィクトリー」を果たしたマシン。

写真/上・中段:珍しい車両としてご紹介するのが、2台のトヨタ車。1968年のアメリカSCCAに参戦したトヨタはシェルビーのレースマネージメントという形で2台の2000GTを走らせている。
写真/下段:フォード時代からの大親友でもあるリー・アイアコッカがフォード副社長の椅子を追われクライスラーに移籍すると、シェルビーはクライスラーのクルマも手掛けることになる。ダッジ・デイトナ・シェルビー(写真右)はターボエンジン搭載のFFクーペ。5.2L V8エンジンを搭載したミッドサイズピックアップトラックの「シェルビー・ダコタ」(写真左)は1989年の僅か1年だけの限定生産モデル。

“FORD v FERRARI”
Blu-ray&DVDリリースイベントで
劇中車に触れる!
映画“FORD v FERRARI”に登場したマシンのほとんどが博物館入りしている数億円はするであろう超希少モデル。CGなしで実際に200km/hオーバーのレースシーンを撮る為に劇中に登場したのは本物と見紛うほど精巧なキットカー。クラッシュシーンで壊れた車両を含め110台以上が製作されたとのこと、流石ハリウッドはスケールが違う。ケン・マイルズの息子ピーターさんご本人(写真上)にお会いでき、「最後にスパナを渡される下りは作り話だけど、キャロル・シェルビーが私のことをいつも気にかけてくれたのは本当さ」とこぼれ話も聞くことができた。

photo&text:
ケニー中嶋
東京で生まれ欧州で幼少期を過ごし、現在は南カリフォルニアに在住。各地で目にした自転車からスペースシャトルまで、あらゆる乗り物への愛と好奇心を原動力に、今日も世界中を飛び回っている。

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