レースで、高性能パーツで、そして新しいチャレンジで未来を楽しく "SARD" 佐藤勝之 Katsuyuki Sato

PRIDE OF JAPANESE CRAFTMANSHIP
Performance Car Parts & Motorsports Constractor
SARD
レースで、高性能パーツで、そして新しいチャレンジで未来を楽しく
佐藤勝之 Katsuyuki Sato

四輪モータースポーツ好きならば、『サード(SARD)レーシング』の名前を聞いてワクワクする方も多いだろう。
80~90年代、サーキットに入り浸っていた筆者もその一人。
昨年設立40周年を迎えた株式会社サードの代表取締役社長、佐藤勝之さんを訪ね、サードのこれまで、そして未来について伺った。


株式会社サードは、トヨタ車向けのパフォーマンスパーツやプレジヤーボートの開発・製造・販売を行っている。
また、サードレーシングとしては現在国内最高峰レースであるSUPER GTに参戦。
トヨタ・レクサスのワークスチームとしてレースのオペレーションを、そして今年から全日本ラリー選手権にもトヨタ86で参戦する。

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白と赤のヘルメットは生沢徹さん、黒は鮒子田寛さん。お二人とも一世を風靡したトップドライバー。
マシンの前に立つ紺色のツナギの人物が、このマシンの生みの親でありサードの創業者、現在は会長を務める加藤眞さんの若き日の姿である。
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上の3枚の写真は1973年のル・マン24時間レースの模様。
26号車はサードの前身であるシグマ・オートモーティブが製作したマツダエンジン搭載のSIGMA MC73。

同社の代表取締役社長、佐藤勝之さんにまず、サードのこれまでについて聞いた。
「創業者で現会長の加藤眞は1965年にトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)にエンジニアとして入社、第七技術部に所属して、トヨタ7の開発にも携わりました。」
その後、トヨタのモータースポーツ活動縮小にともない独立、72年にシグマ・オートモーティブを設立。
「当初からル・マン24時間レース参戦を目標に掲げ、73年には日本のチームとして初めてエントリー。初年度はリタイアでしたが、翌74年には何度もトラブルに見舞われながら最下位で完走、その健闘を讃え、観客がスタンディングオベーションで迎えてくれたと聞いています。」
74年のル・マン参戦を最後に、シグマとしての活動を休止。
85年にサードを設立し全日本ツーリングカー選手権(グループA)にトヨタ・スープラで参戦、レース復帰を果たす。
86年にはオリジナルマシン、サードMC-86Xで全日本耐久選手権(グループC)に参戦、以降トヨタとともに日本屈指のレーシングチームとして、活躍を続けている。
「加藤自身はマスタングやシェルビーが大好きで、キャロル・シェルビーとも交流があったそうです。今でも『自社で設計・生産したクルマでアメリカを走ってみたい。サードをシェルビーのような会社にしたい』と言っています。」

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スーパーGTの2016年シーズンに向けテスト中のサードレクサスRC Fの勇姿。
サードは今年もトヨタのワークスチームとしてスーパーGTに参戦、最高峰のGT500クラスでレースのオペレーションを担う。

社長である佐藤さんご自身についても伺った。
「レース経験もあるバイク好きでしたが、自動車レースは見たことがなかった。
日本青年会議所の記念行事で鈴鹿サーキットを舞台にしたイベントを取り仕切ったことで四輪モータースポーツ界とご縁ができ、4年前にサードに入社しました。」
住宅や食品業界で数々の新ビジネスを立ち上げたノウハウを生かして、国内レーシングチームでは珍しい、営業専任部隊を社内に設置。
恐らく国内最多、約55社のスポンサーとパートナーシップを結んでいるという。
そんな佐藤さんに、日本のモータースポーツ業界についての感想を聞くと、「欧米と比べ、我が国のモータースポーツはエンターテインメントとしてはまだまだ発展途上だと思います。」と辛口なコメント。
モータースポーツにスポンサーすることに対してのステイタスも不足している、NASCARなどに学ぶところが多いとも。
「サードとしてNASCARにも挑戦してみたいですね。未来の夢のひとつです。」

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サードオリジナルのパフォーマンスパーツは自社工場で開発・製造している。

72年、日本初の純国産マシン"SIGMA"で富士グランドチャンピオンシリーズ(GC)に参戦/73年、ル・マン24時間レースに日本から初参戦/87年、世界初のウィングカーを開発、GCに投入/07年、世界初のハイブリッドGTマシン・スープラHV-Rで十勝24時間レース総合優勝など、サードのヒストリーには日本初、世界初のチャレンジが多い。
「誰もやったことがないような夢を追いかけ、目標を設定、まずスタートしてみる。条件がそろわないとやらないというのはダメ。やってやれないことはない。走りながら考え、ビジネスモデルとしての組み立てを考えればいい。いつもワクワク、ドキドキしながら目標に向けて走る。それがサードのスピリットでありDNAなのです。」

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トヨタ86をベースに自社で外観から足回りまで大掛かりにモディファイ、ターボも装備するサード・コンプリートカー。

近い将来、自社で開発中のプロトタイプレーシングカーでのレース活動を再開する計画もある。
そして夢は空へと広がっているのだとか。
「自動車レースで磨いてきたカーボンモノコックフレームの製造技術も応用して、エアレース用のレシプロエンジン搭載小型飛行機を作るプロジェクトがスタートします。」
昨年日本で開催されたレッドブルエアレースに唯一の日本人パイロットとして参戦した室屋義秀をアドバイザーに迎え、エアレースの世界で技術を磨きながら、オリジナルの機体を開発するという。
室屋選手が拠点を置く福島にファクトリーを構える準備も進んでいるとか。
実にサードらしいチャレンジではないだろうか。
「常に先駆的なものにチャレンジし続けたい。日本のモータリゼーションを楽しく豊かなものにしたい。それがサードの使命だと思っています。」と佐藤さん。
陸に、水上に、そして空にチャレンジし続けるサードのこれからに、大いに注目したい。

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応接室にはサードのマシンのミニチュアカーやル・マンのフォトブックとともに、エアレース・パイロット、室屋義秀のサイン色紙も飾られていた。
株式会社サードの創業社長で現代表取締役会長、加藤眞さん。
トヨタ自工でレーシングカーの開発に携わった後に独立、国内、そしてル・マンなど海外のレースにも参戦。
サードのDNAである夢と志を持ち続けるという姿勢を貫き続けている。
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株式会社サード代表取締役社長、佐藤勝之さん。
創業者のフィロソフィーを受け継いで「これからも先駆的なものにチャレンジし続けたいです。」と語ってくれた。

"やってやれないことはない。走りながら考え、ビジネスモデルとしての組み立てを考えればいいと思っています。"

★profile★
佐藤勝之 Katsuyuki Sato
愛知県名古屋市生まれ。
住宅、食品関連企業を経て2012年にサードに入社。
国内レーシングチームでは珍しい専任の営業部隊を社内に設置。
2014年より現職。
チューニングカーの開発に際し自らステアリングを握ることも。

取材協力:
株式会社サード
上は、愛知県豊田市にある株式会社サードの本拠地。パーツやコンプリートカー、レーシングカーの開発までをここで行っている。
SARD Co.,Ltd.
http://www.sard.co.jp

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写真提供: 鮒子田寛(1973年ル・マンの模様)、SARD Co.,Ltd.
photo&text: Gao Nishikawa

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